萩のまちと文学⑤ 井上剣花坊
新しい年が明けました。コロナ禍ではありますが、年末年始、久しぶりに懐かしい人と再会された方もいらっしゃると思います。
「飛びついて 手を握りたい 人ばかり」
(句碑場所 萩市民館横)
この句は萩出身の川柳作家井上剣花坊(けんかぼう)が、大正10年(1921)、30年ぶりに帰郷した時に詠んだものです。旧知の人々と再会する様子が目に浮かんでくるような一句です。
井上剣花坊は明治3年(1870)江向に生まれました。喧嘩早い性格だったようで、柳名の由来にもなっています。明倫小を卒業後、木間小学校の代用教員となりましたが30歳で上京、新聞社に勤め川柳投稿欄を担当する傍ら川柳会を結成、門下は全国に広まりました。さらに機関紙「川柳」(のち「大正川柳」)を創刊しました。
川柳は江戸時代からありましたが、江戸末期には堕落した作風から狂句と称されていました。
剣花坊はその作風を一新し、川柳を民衆芸術にしようと尽力しました。
「民衆のだれもかれもが詩を作り、そうして自分のつくったものを自分で歌うのが当然だと思います。否、それが真に民衆芸術、民衆詩というものだろうと考えるのです。」(『大正川柳』百号記念号 (大正9年11月発行)掲載文より)
新聞社退社後は、全国を行脚するなど精力的に活動、昭和4年(1929)『川柳王道論』を発表、やがで近代川柳の祖と呼ばれるようになりました。『宮本武蔵』で知られる作家の吉川英治も弟子の一人です。
武士の家に生まれましたが、平民主義・自由主義を唱え、長州閥などの権力とは終生距離を置きました。
剣花坊は昭和9年(1934)9月、鎌倉で65歳の生涯を閉じましたが、共に川柳の道を歩んできた同郷の妻井上信子はその後も川柳をつくり、夫婦で川柳を極めました。
今では新聞の1面に川柳の投書欄があり、毎年サラリーマン川柳が発表されるなど、川柳は私たちの生活にとても身近なものとなっています。剣花坊はこのことをとても喜んでいるのではないかと思います。
現在、萩の町の其処かしこに剣花坊の句碑が建っています。
「いっぱいに よろこびを吸う 朝の窓」
(句碑場所 萩有料道路萩往還公園)
(句碑場所 素水園)
最後に、新年にふさわしい句をご紹介します。
「新らしい 心になりぬ 初日の出」 (句碑場所 住吉神社)
参考図書
『川柳中興の祖 井上剣花坊 』(萩ものがたりvol.13)
井上剣花坊顕彰会/監修・編著 当館所蔵あり
『井上剣花坊句集』 井上剣花坊顕彰会/編 当館所蔵あり
『新興川柳運動の光芒』 坂本幸四郎/著 当館所蔵あり
『川柳の群像』 東野大八/著 田辺聖子/監修・編 当館所蔵あり
『作家たちの文章で綴る 萩のまち文学散歩』 萩図書館「文学散歩」制作委員会/編集・萩まちじゅう博物館出版委員会/発行 当館所蔵あり カウンターで販売中