2階ガラスケースの展示が、
「創立150年 巴城(はじょう)学舎の蔵書~明治初期のティーンズは超大変!」に変わりました。
巴城学舎は、明治8年5月に明倫学舎敷地内に作られました。
明倫学舎(小学校程度)を卒業した、14歳~20歳までが通う、今でいう中学校・高校のようなものでした。
しかし、明治5年に学制が制定されたばかりで、当時決められた中学校への入学条件を満たすものがいなかったので、巴城学舎は、「上等小学校」として創立されました。しかし、授業内容は中学校・高校で学ぶレベルのものでした。
巴城学舎の創立にあたり、木戸孝允も萩に来て、当時の区長たちを集めて、その必要性を説いたそうです。
また、前原一誠も旧士族たちへの勉学の道が開かれたことを喜び、自身も明倫学舎に読書場を設けて、青年向けの勉強会を開催していたそうです。
今回の展示では、巴城学舎で所蔵していた書籍や、使用されていた教科書を展示しています。
展示されている書籍をみると、かなり高いレベルだったことが分かります。(英語で書かれた教科書は、原文のまま読んでいた授業もあったようです)
藩校(江戸時代の授業)で学んだ若者たちにとって、この授業についていくことはとても大変なことだったと思います。
明治9年の萩の乱では、巴城学舎は反乱軍の本拠地となりました。
当時の学生の心情を思うと、勉強どころではなかったのではないでしょうか。
皆さまも、当時の学生たちがどんな状況で勉強をしていたか、思いを馳せていただけたらと思います。