リーズ「萩のまちと文学」第16回目は、この萩の地で戦中、戦後の混乱期を過ごした作家・英文学者の永松定(ながまつ さだむ)をご紹介します。
明治37年(1904)、熊本県に生まれ、成人するまで熊本の玉名で過ごした永松は、22歳で東京大学文学部に入学、相本太郎ら10人と同人雑誌『風車』を創刊します。また、昭和8年(1933)には伊藤整らと、ジョイスの『ユリシーズ』を共訳するなど充実した時期を過ごしますが、昭和12年(1937)に強烈な神経衰弱に陥り、郷里の母の大病などで精神的窮地に追い込まれます。そんな永松は昭和15年(1940)、心機一転、知人の紹介で山口市の中学校で英語教師として教鞭をとることになります。そして昭和17年(1942)に山口県立萩中学校(現在の山口県立萩高等学校)に転任し、昭和24年までの7年間をこの萩のまちで過ごしました。
「山陰地方の秋は早い。十月の中頃、萩駅近くの通称天神さん(椿町金谷にある金谷神社、また金谷天神のこと)の祭りというのがある。その頃からもうバラバラと降り出す時雨が霙始めるのだ。昼間カラリと晴れ渡った空いちめんに、急に、黒雲が被いかぶさるかと見る間に、早やパラパラと霙が落ちかかってくる。するとまた忽ち晴れて、黒い雲の晴れ間から、キラキラと、実に美しい太陽の光線が輝き出す。ところがほんの河向こうの方はまだ時雨が降っていると言った有様なのだ。こういう風景は南国育ちの私にとっては珍しかったが、もうこの頃から、早くも萩の人たちは炬燵をしかけてもぐり込み、酒となるのだ。」「萩の独楽廻し」(『永松定作品集』五月書房より)
永松は萩の秋の気候をこのように述べています。先月、コロナ禍で3年ぶりに開催された天神まつりの日も降ったり、晴れたりのはっきりしない天気でしたが、永松の観察力と今も変わらない萩のまちの気候に言い得て妙だと頷きました。
南片河町の借家に住む永松夫妻は、ひょんなことから斜め向かいの隣人、香具師で萩の独楽廻しとして有名な小田森仁一郎と酒友達になります。
「私はどうにかして彼の独楽を廻すところを、この眼でみたいものだ、と思った。(中略)そこで、私はこの正月は是非、小田森仁一郎の独楽をわが家で見たいものと決心した。それには先ず酒を集めるのが、第一の必要事であった。正月の二日に私の家で小田森仁一郎が独楽廻しの実演をしてみせるという話がすぐさま伝わって、その日になると、朝から近所近辺の女子供がそれをみようとつめかけて来た。」「萩の独楽廻し」(『永松定作品集』五月書房より)
娯楽の少ない時分、独楽廻し等の芸は大変人気があり、永松の家にも多くの見物客がつめかけ、小田森の見事な独楽廻しに、拍手大喝采だったようです。
永松の作品には萩の町に暮らす人々の様子が細やかに描かれており、往時を偲ばせ、萩の生活文化を知ることができます。
「うすうすと紺のぼりたる師走空」(飯田龍太)
暗い夜の空から徐々に青空に変わる瞬間。冷たくも澄み切った空気を吸い、凛とした気持ちになれる句です。師走に入るとなんとなく気忙しいですが、少しずつ準備を整え、新年を迎えたいものです。
♪お正月にはたこあげてこまをまわしてあそびましょう♪という日本のお正月の風景は近年ではあまり見かけることはなくなりましたが、♪早く来い来いお正月♪
良い新年をお迎えください。
【参考図書】
『やまぐちの文学者たち 追補版』 やまぐち文学回廊構想推進協議会/編
※当館所蔵あり
『永松定作品集』 永松 定/著 ※当館所蔵あり 館内閲覧
『作家たちの文章で綴る 萩のまち文学散歩』 萩図書館「文学散歩」制作委員会/編
※当館所蔵あり。 カウンターにて販売中(300円)