2022年7月23日土曜日

萩のまちと文学⑪ 河上徹太郎

 萩のまちと文学⑪。

今回紹介する河上徹太郎(文芸評論家、音楽評論家)は長崎市の出身ですが、本籍は岩国市です。河上家は代々岩国の吉川藩の有力な藩士の家柄でした。

6回で紹介した中原中也と友人関係にあり、河上徹太郎は中也の死後には中也についての著作を多数発表しています。『河上徹太郎著作集 第二巻』によると中也と河上が大変親しく、5歳年上の河上を中也が慕っていたであろう様子が見て取れます。

さて、そんな山口県とゆかりのある河上徹太郎は何度か来萩した事があります。その中でも三好達治、井伏鱒二の3名で来萩した時の様子が『三人旅の記 ー防長行脚—』より「下関より萩まで」に残されています。その中に東光寺についての記述がありますので一部を紹介します。


私は東光寺が好きだ。建物が黄檗宗の寺にふさはしく適宜に志那風なのもなつかしく、山門も本堂も荒れ、この両者の間は昔は杉並木だつたのが、戦争中に伐られたと土地の人は慨くが、その昔を知らない私は、今の鄙び方がそれなりに美しい。参道の石だゝみの両側、つまり昔杉がはえてゐた筈の部分に、戦後七年になるのに未だに食糧増産の頃からの惰性で菜種や麦がうゑられ、遠くから見るとその黄色い菜の花や青い麦の穂の中に伽藍が囲まれ聳えてゐるのが、却って板についてゐる。

『三人旅の記 —防長行脚—』より「下関より萩まで」から抜粋



黄檗宗「護国山東光寺」は、元禄四年(1691年)萩藩三代藩主毛利吉就公が開基となって創設された禅寺です。元禄七年(1694年)吉就公の没後、廟所とされました。奇数代の藩主ならびに夫人が東光寺、偶数代の藩主ならびに夫人が大照院と、毛利家の菩提寺となっています。そんな東光寺で河上たちの見た景色が想像出来る文章です。

今年は梅雨が短く夏が長くなりそうですが、この河上徹太郎がこよなく愛した今も昔も変わらない佇まいの萩の町を歩いてみませんか?


*****参考図書*****

 

『ふるさと文学館 第41巻』 磯貝 英夫/責任編集

『河上徹太郎著作集 第二巻』 河上 徹太郎/著

『東光寺』 護国山東光寺/発行

 ※当館所蔵あり

『作家たちの文章で綴る 萩のまち文学散歩』 萩図書館「文学散歩」制作委員会/

 ※当館所蔵あり カウンターにて発売中(¥300)